李禹煥 自己 他者 存在

「対話」

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直島の李禹煥美術館で

一番魅入ってしまった作品

これはポストカードだけれど

キャンバスに描かれた質感のある現物の

存在感というかインパクトは凄かった





「対話」というタイトルの意味するところはわからない

ほかの作品からも察するに自己主張をせず

観る者に委ねるというスタンスのようだ


僕はこの人の作品を見ている間ずっと

日本人ユング心理学研究者の第一人者河合隼雄さんと村上春樹さんの対談を思い出していた

自我とはなにか?

存在とはなにか?

僕たちは意識の表層の部分だけを共有して

日常生活を送っているのであって

仏教の瞑想なんかは、その意識を深層まで掘り下げていって

そこには「存在」が「存在」している状態にしかない

といったところに辿り着くようなことをやっているという


村上春樹さんの作品に出てくる「羊男」

(この辺が意味不明で、村上春樹を断念する人や、

ファーストフード文学と呼ぶ外国人評論家がいると思っている)

なんかは

河合さんに言わせると、

意識の深いところまで下りて行った「存在」のあたりに住んでいるらしい

その辺の境地は僕にはまだまだわからないけれど

意識の表層と深層

自己と他者の境界(深いところまで下りると河合さんと村上さんの区別もなくなるとかそういう話)

について、心理学的に言われていることは

ぼんやりとわかる気がする (気になってきている

とか考えてこの文章を書きながら

ネットで李禹煥について調べていると

李禹煥さんが書いた詩にこんなものを見つけた



僕はと言うとき

僕はと言うときその中に
僕そのものは含まれているのか

僕はと言うときその中に
隣の彼は含まれていないのか

僕はと言うときその中に
周りの物たちは含まれているのか

僕はと言うときその中に
見知らぬ山川は含まれていないのか

僕はと言うときその中に
昨日の死者たちは含まれているのか

僕はと言うときその中に
明日の僕は含まれていないのか

僕はと言うときその中に
僕でないものは含まれているのか



難しい内容です。

河合隼雄さんでさえ80歳ごろの著書の中で

「自我というやつで一生苦しんでいる」

と言われている


自分も日常生活で困難なことがずっと続いているけれど

「これは意識の表層でおこっていることだから・・・」

と、単純に割り切ることはできない

痛みは現実的に襲ってくる


この辺りにパッと答えを差し出すものは新興宗教なんかであって

そういうものに頼ることができたら

現世で生きてゆくのはたやすいことだろうなとは思うのだけれど

自分には受け入れられないので

僕も一生苦しんでいくのでしょう


この島の美術館では

そういった現世的なことと切り離した空間で

作品と触れ合うことができる


そういえば

女優の中谷美紀さんも李禹煥が好きで

作品を所有しているそうですね

日曜美術館という番組で、

「余白」というものが好きだと言っていた

何もないところに何かを見る


あの人もインタビューなんかでコミュニケーションの取り方とか見る限り

だいぶ他人とは変わってると思ってたけれど

見てるところが違うんだろうなあ
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by zooey0719 | 2013-10-27 16:59 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
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